KUHが生まれた原点に還る~Ⅰ





ようやく暮らしの中の日常のことを気軽に発振できる環境が整い、今をつづろうとした時に、ふとTerra Coya KUHが生まれた原点に還ってこれからをみつめてみたくなりました。

30代、一度は結婚して県内中心部に出たものの、息子が胎内で育つころから、自然の中で子どもを育てたいという願望が高まり、思いがけない痛みもともなうプロセスではありましたが、病気や離婚を通じて、自然豊かな実家のお寺で子どもと暮らす生活が始まりました。

年老いた両親、そううつ病治療で思うように家事や子どもの世話ができない私をみるにみかねた姉夫婦が、お寺の空いたスペースで共に暮らすようになり、親たちが手のまわらなくなっている畑で無農薬の野菜を、山の落ち葉をかきあつめてつくり始めたり、
姉が焼いていた天然酵母のパンやピザが釜で焼けるようにと、義兄が手づくりで釜をつくり、息子の離乳食は、窯焼き天然酵母パンという、何とも豊かな時間をすごしながら、
自然や血縁を超えた家族の愛の力で、生涯薬を飲み続けなければ治らないと医者に言われていた私の病気も、だんだんと薬の量も減り、5年後には完全に薬なしで暮らせるように治癒していました。
今思うと、この頃の暮らしそのものがKUHの原点だと思います。

息子が幼稚園に行くまでは、近所に子どもはほとんどいなくて、遊ぶ友だちもなく、自分たちが子どもの頃とはすっかり変わってしまったふる里の現状に、寂しくもあり、危機感が生まれてきました。
このままではこの地域は過疎地域から、人のすめない限界集落になってしまう可能性がある。。
さらに、お寺の裏山が県道になる30年前の計画が今実行されようとしていて、土地の買収もすみ、工事をとめることができないという悲しい現実もせまってきていました。

こんな時だからこそ、地域の中でお寺だからこそできることがある。何ができるのか。。
この頃、お寺で子どもたちが走り回って遊んでいる昔の寺子屋のようなビジョンが何度も浮かんできていましたが、どうやったらいいのか分かりませんでした。

そんな中、息子は幼稚園、小学校と通ってはいましたが、ずっと通うことを嫌がりながら無理やり行かせる日々が続き、8年目の6年夏休みに、2学期からいよいよ行かなくなるかもしれない、という予感が働き、8月末に、9月に兵庫県のデモクラティックスクールまっくろくろすけで行われる、ウータンの研修に参加申し込を決めたのがコトが動き始め
たハジマリだったことが今はよく分かります。

案の定2学期始業式から、布団からでなくなってしまった息子、
同じ日に、姉の子どもも行かなくなり、
3世代3世帯同居の暮らしゆえに、学校の先生あがりの両親の心配からの言葉はつらく、
学校の先生からも毎日「(学校へ)出さんといけん、あまやかしたらいけん」と、
責められるような日々は、半年は続き、姉と2人いたからこそなんとか子どもたちの
ギリギリの生命を守ってあげることができたと思います。

すでにフリースクールや家ですごす子どもたちの多くいる地域に引っ越したいと思ったことも何度もありましたが、子どもたちは、てこでも動かず、生まれ育ったふる里でもある今の場所で暮らしたいと強く望んでいたこともあり、
今こそ、お寺を活用して子どもたちの居場所を創っていくトキがきたことを観じ、
ウータンの提供している「プラネタリィ ライフ スクール~地球に存在することの本質の学びと実現~」という研修に参画し、場所を創っていく学びを姉と共に始める決心をしたのが3年半前で、この時の覚悟のような心境は、今でもはっきりと覚えています。

日常のことをつづろうと、近頃の写真を選んで、書き始めたとたん、流れるように湧いて出てきたことをつづっているうちにいつのまにか長くなっていました。
まだ今日の家事が途中でした(苦笑)

このつづきはまたのちほど。。

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